偉人・敗北からの教訓 第113回「徳川光圀・将軍綱吉との対立と黄門さまの実像」
- 11/1 (Sat) 21:00 ~ 21:55 (55分) この時間帯の番組表
- BS11イレブン(Ch.211)
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番組概要
「水戸黄門」の愛称で広く知られる徳川光圀の敗北を紐解く。自らが将軍就任を後押しした五代将軍・徳川綱吉と対立し、水戸藩主を辞し、隠居へと追い込まれた理由とは?
番組詳細
時代劇のヒーロー・徳川光圀の敗北から現代に通じる教訓を探る。1628年、徳川家康の十一男で初代水戸藩主となった徳川頼房の三男として、現在の茨城県水戸市に生まれた光圀はそもそも望まれて誕生した子ではなかった。6歳の時に頼房の世継ぎとして認められ、江戸・小石川の水戸藩邸に入った光圀は18歳の時に古代中国の歴史家・司馬遷が記した『史記』の伯夷伝を読んで感銘を受け、自分が進むべき道は勉学であると目覚めた。
30歳の時に神武天皇以来、百代の天皇を中心とする歴史を記す『大日本史』の編纂事業に着手した光圀は34歳で二代水戸藩主となり、飲料水不足に苦しむ領民のために水道を造らせるなど善政を進める一方、明の儒学者・朱舜水を招き、後に水戸学と称される学問の礎を築いた。ところが、自らが将軍就任を支持した五代将軍・徳川綱吉と対立し、隠居の決断を余儀なくされてしまう。光圀はなぜ、藩主の座を退くことになったのか?
64歳の光圀は水戸城からおよそ20キロ離れた西山荘に移り住むと、ライフワークである『大日本史』の編纂に勤しむ傍ら、積極的に領内の視察にも出掛けた。美食を好み、健康にも留意していたが、1700年、病に倒れ、『大日本史』の完成を見ることなく、この世を去った。享年73。『大日本史』全巻が完成したのは明治末期、1906年のことだった。「黄門さま」「ご老公」のイメージで広く知られる徳川光圀の魅力と真実とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
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