偉人・敗北からの教訓 第112回「伊藤博文・挑み続けた不平等条約改正」
- 10/25 (Sat) 21:00 ~ 21:55 (55分) この時間帯の番組表
- BS11イレブン(Ch.211)
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番組概要
日本の近代化に尽力した初代内閣総理大臣・伊藤博文の敗北を紐解く。大隈重信を外務大臣に抜擢し、欧米との不平等条約改正を目指すが、失敗に終わってしまった理由とは?
番組詳細
内閣総理大臣を4回務め、大日本帝国憲法を制定した伊藤博文の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1841年、長州藩の農民の子として生まれた伊藤は16歳で吉田松陰が主宰する松下村塾に入門し、その後、長州五傑の一員として渡英。1871年には岩倉使節団の副使として、欧米との不平等条約改正交渉に臨むが、失敗してしまう。帰国後、明治政府の主導者となった伊藤は近代国家としての日本を確立すべく舵を取る。
1885年、伊藤は初代内閣総理大臣に就任。その後、枢密院の議長となり、憲法の制定に尽力し、1889年、大日本帝国憲法を発布する。この間、伊藤は外務大臣に大隈重信を抜擢し、懸案となっていた不平等条約の改正を目指した。ところが、大隈の強硬な外交方針に国内外から批判が集中、条約改正交渉はまたも暗礁に乗り上げてしまった。その時、伊藤が取った、思い切った行動とは?
1892年、伊藤は二度目の内閣を組織すると、陸奥宗光を外務大臣に据え、日本が近代憲法を持つ国家であることを世界に訴え、不平等条約改正を目指した。そして、イギリスを相手に交渉を進め、1894年、領事裁判権の撤廃を勝ち取った。1905年、韓国統監府の初代長官に就任した伊藤は4年後、満州のハルビンで銃撃され、激動の生涯に幕を降ろした。享年69。近代国家としての土台作りを伊藤が成し得た理由とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
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