偉人・敗北からの教訓 第109回「北条氏康・三国同盟崩壊を招いた相模の獅子」
- 10/4 (Sat) 21:00 ~ 21:55 (55分) この時間帯の番組表
- BS11イレブン(Ch.211)
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番組概要
「相模の獅子」の異名を持つ名将・北条氏康の敗北を紐解く。駿河の今川義元、甲斐の武田信玄との関係を強化した三国同盟を氏康はなぜ崩壊させてしまったのか?
番組詳細
関東平定を目指した戦国大名・北条氏康の敗北から現代に通じる教訓を探る。1515年、北条家二代当主・北条氏綱の嫡男として生まれた氏康は16歳で初陣を飾り、北条氏の勢力拡大に貢献。27歳の時に父の死を受け、三代当主になると、飢饉や天災などにより、領民たちが混乱する中、内政の危機を乗り切る。さらに、河越城での戦いで上野の上杉憲政らを破り、関東の主導者としての地位を確固たるものにした。
長年、睨み合いが続いていた駿河の今川義元、甲斐の武田信玄と三国同盟を結び、背後の脅威を絶った氏康は以後、関東での戦いに専念。1561年には越後の上杉謙信により本拠地・小田原城が包囲されてしまうが、巧みな籠城戦により退けることに成功した。ところが、1568年、関東平定を果たすためには不可欠とも言える三国同盟が瓦解してしまう。氏康はなぜ、折角、築いた同盟関係を維持することができなかったのか?
1569年、かつての盟友・信玄により小田原城が包囲されるが、氏康はこれを跳ね返し、2年後、この世に別れを告げた。千葉県鋸南町に生前の氏康の苦悩が窺える史料が残されている。1561年、謙信に小田原城を包囲された後に書かれたものだ。氏康は自分が領民のために行った善政を列記した上でこう問いかけている。「私の今までの行動は天道に背く行動だったのでしょうか?」平和な世を願い続けた氏康の類まれな魅力とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
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