偉人・敗北からの教訓 第106回「家康に天下を取らせた武将たち④榊原康政」
- 9/6 (Sat) 21:00 ~ 21:55 (55分) この時間帯の番組表
- BS11イレブン(Ch.211)
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番組概要
文武両道で知られる徳川四天王の一人、榊原康政の敗北を紐解く。徳川秀忠軍の軍監を務めた康政はなぜ、関ヶ原の戦いに秀忠軍を間に合わせることができなかったのか?
番組詳細
「無」の旗印を掲げ、主君・徳川家康の覇業を支えた知勇兼備の名将・榊原康政の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1548年、三河国の下級武士の次男として生まれた康政は幼少期から勉学を好み、13歳で家康の小姓となる。16歳の時に三河一向一揆で初陣を果たすと、翌年、同い年の本多忠勝と共に旗本先手役に抜擢され、姉川の戦い、三方ヶ原の戦い、小牧・長久手の戦いなど、数々の合戦で活躍し、その武勇を轟かせた。
1590年、家康が関東に移封されると、康政は上野国館林10万石を与えられ、治水や街道整備などの内政にも尽力。1600年、豊臣政権を二分する戦いが勃発すると、康政は徳川秀忠率いる大軍の軍監として、東山道を西へ向かった。ところが、途中、真田昌幸が籠る上田城での戦いや悪天候の影響もあり、秀忠の関ヶ原遅参を招いてしまった。康政はなぜ、秀忠を関ヶ原の戦いに間に合わせることができなかったのか?
関ヶ原で合戦の指揮を執れなかった康政は家康に詫びを入れ、秀忠には非がなく、許すよう説得した。戦後、家康は康政を館林10万石から水戸25万石に加増する旨を伝えたが、康政はこれを辞退。そして、家康が征夷大将軍の座を秀忠に譲った翌1606年、59歳でこの世を去った。康政にゆかりがある豊田、館林、姫路、上越の各市では毎年、市長が集い、「榊原サミット」を開いている。康政が今もなお、人々を魅了する理由とは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
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