番組概要
かつて500円札の肖像として親しまれた岩倉具視の敗北を紐解く。岩倉使節団を率い、海を渡った岩倉がアメリカとの不平等条約改正交渉を断念してしまった理由とは?
番組詳細
「維新の十傑」の一人・岩倉具視の敗北から現代に通じる教訓を探る。1825年、公卿・堀河康親の次男として京都に生まれ、14歳で公卿・岩倉具慶の養子となった岩倉具視は29歳の時、歌道を学ぶため、関白・鷹司政通の弟子となり、出世の道を歩み始める。やがて、外圧が高まると、幕府は公武合体を目指し、十四代将軍・徳川家茂と孝明天皇の妹・和宮の婚姻を画策。岩倉は朝廷内の大多数が反対する中、和宮降嫁を実現させた。
佐幕派と見なされた岩倉は5年もの蟄居生活を余儀なくされる。1867年、十五代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行うと、岩倉は大久保利通らと共に王政復古のクーデターを成功させ、明治新政府の樹立に貢献。その後、版籍奉還などの重要政策に関与した後、特命全権大使として欧米諸国の視察に向かうが、アメリカと結んだ不平等条約改正交渉を途中で断念してしまう。岩倉はなぜ、アメリカとの交渉を思い通りに進められなかったのか?
欧米で鉄道に衝撃を受けた岩倉は1881年、現在のJR東日本のルーツである日本鉄道を設立。自らが失敗した条約改正を実現するためには近代国家の証である憲法を持つことが必須であると痛感し、その制定を目指すが、志半ばで病に倒れる。そして、明治天皇が直々にお見舞いに訪れた翌日、静かに息を引き取った。享年59。岩倉の葬儀は日本初の国葬として執り行われた。日本の近代化に力を尽くした岩倉の子孫が語る思いとは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
BS11公式WEBサイトでは、みなさまからのメッセージを受け付け、公開しております。番組への率直なご意見やご感想など、どしどしお寄せください。お待ちしております! https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/