番組概要
主君・徳川家康に忠誠を尽くした徳川四天王の一人、本多忠勝の敗北を紐解く。少年時代から家康に仕え、主君を天下人にしながら、その生涯で果たせなかった思いとは?
番組詳細
徳川家臣最強と謳われる名将・本多忠勝の敗北から現代に通じる教訓を探る。徳川家の前身である松平家に古くから仕える譜代家臣・本多家の嫡男として、1548年、三河国に生まれた忠勝はわずか2歳で父・忠高を合戦で失い、叔父・忠真に厳しく育てられた。13歳で初陣を果たすと、三河一向一揆で本多一族の大半が一揆勢に付く中、家康に従い、信頼を勝ち取る。その後、家康が参加した、ほぼ全ての合戦に従軍し、武勇を示した。
織田信長や豊臣秀吉からも絶賛された忠勝は関ヶ原の戦いでも武功を挙げ、戦後、初代桑名藩主となり、城下町の整備に力を尽くした。生涯に57回もの合戦に出陣し、かすり傷一つ負わなかったと言われる忠勝は1610年、63歳で生涯を閉じる。臨終間際にこう呟いて…。「死にたくない。家康様の恩義にもっと報いたい」。幾多の戦場で死をも恐れずに戦い続けた忠勝はなぜ、「死にたくない」と思ったのか?
忠勝の嫡男・忠政は桑名藩主として藩政に取り組んだ後、大坂の陣で武功を挙げ、戦後、姫路15万石に加増移封された。忠政の嫡男・忠刻は二代将軍・徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の正室だった千姫を妻に迎えた。そこには、忠勝に対する、家康の特別な思いがあった。その後、各地を転々とした本多家は江戸時代半ばに一族のルーツとも言える岡崎に移され、幕末まで岡崎藩主を務めた。忠勝が子々孫々に伝えたかった思いとは?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
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