番組概要
五大老の一人として豊臣政権を支えた前田利家の敗北を紐解く。主君・豊臣秀吉の遺言を無視し、天下への野望を剥き出しにした徳川家康を厳しく処断しなかった理由とは?
番組詳細
加賀百万石の礎を築いた名将・前田利家の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1538年、尾張荒子城主・前田利春の四男として生まれた利家は14歳で織田信長の小姓となるが、同僚を殺害し、織田家を追放されてしまう。帰参後、前田家の家督を継ぐと、能登一国を拝領。本能寺の変で信長が横死すると、柴田勝家に味方するが、賤ヶ岳の戦いの最中、羽柴秀吉方に転じ、以後、秀吉の天下統一事業を支えていく。
やがて、豊臣政権の五大老に任命され、後継者・豊臣秀頼の傅役も任される。ところが、同じく五大老の家康が秀吉の遺言を無視し、天下への野心を露わにすると、利家は家康の暴走を抑えるべく、決死の覚悟で直接会談に臨む。この時、家康の巧みな立ち回りもあり、両者は和解。しかし、これが結果的に家康を天下人に押し上げることになってしまう。利家はなぜ、秀吉の遺言を破った家康を処断しなかったのか?
利家の死後、秀頼の傅役は嫡男・前田利長が受け継ぐが、やがて、家康暗殺の噂が立ち、利長が首謀者と見なされてしまう。利長は弁明のため奔走、母・まつを人質に出すことで、ようやく家康の許しを得た。前田家を屈服させた家康は同じく五大老の上杉景勝に謀反の疑いをかけ、会津へと進軍。その流れの中で起きた関ヶ原の戦いに勝利し、天下の実権を握ることに。一方、家康に屈した前田家はその後、どんな道のりを歩んだのか?
歴史上の偉人たちが犯した失敗から、私たちが学ぶべき教訓を探る歴史情報番組。
伊東潤(歴史作家) 中西悠理(フリーアナウンサー) 【ナレーター】槇大輔
BS11公式WEBサイトでは、みなさまからのメッセージを受け付け、公開しております。番組への率直なご意見やご感想など、どしどしお寄せください。お待ちしております! https://www.bs11.jp/entertainment/ijin-haiboku-kyoukun/