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「軍師官兵衛」のクチコミ(口コミ)(4ページ目)

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投稿者:ネコズキ

投稿日:2014/12/12

長政の油揚げのような兜、いや~本当に戦場で被っていたのかね~。首の筋肉プロレスラ~なみに鍛えてあったんだろうね~。松坂君ちょっと斜めになっているところ重いのかな~。心配して見ていますよ‥。1日で決着がついた関が原の戦い、最終回で10分くらいで描くのかね~?時間配分考えると、残念でなりません!

投稿者:日本最強軍団 薩摩隼人

投稿日:2014/12/12

「巨人のドラフト一位、定ボウ(定岡投手、鹿児島実業高出身)は
薩摩隼人じゃけん」とか言って、鹿児島県人の人を「薩摩隼人」っ
て言うけど、やっぱ強かったんだろうねえ。
日本最強軍団と言われるぐらいだから。
やっぱハヤブサのように敏捷性に富む侍なのかな?
他の士族と違い「にんにく」とか食べていた連中のようだね。
西南戦争でも明治政府が恐れたわけだ。

投稿者:家康公

投稿日:2014/12/12

「武家諸法度法」読みました。
その一つに「大名同士の勝手な婚姻禁止」とかいう条項がありま
した。
太閤秀吉の遺訓を自ら破り、五大老筆頭の地位を利用し、それを
やった家康公自身が「法」を作っている所が面白いです。
誰もオレのマネをするなよ~という事でしょうね。
この方、ちゃんと悪い事をしているという自覚症状があるようで
すね(苦笑)。無法者ではなかったと。安心しました。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/12/12

いろいろ印象的なシーンか多いドラマですが、私は本能寺の変の
後の、安国寺恵瓊と官兵衛さんの謀議が好きです。二人の軍師。
主家である毛利家と織田家という狭い枠ではなく、主家を裏切る
事にはなるけど、天下のために、論じ合ったシーン。
『お主もワルよの~』の笑顔がたまらない(笑)。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/12/12

「軍師官兵衛」ホームページ見ました。
最終回カウントダウン応援合戦。
荒木村重役の田中哲治さんのコメントは、笑えますね。
しかし、ま、天下を狙う人は、信長、秀吉、家康だけで
はなく、官兵衛とその仲間たちもだけど、全員、人相が
悪くなりますね(笑)。

投稿者:ネコズキ

投稿日:2014/12/11

最終回が近づいていますね。なのにこの盛り上がりは何なんだ!まだこれから回を重ねていくようだよ!岡田官兵衛これから天下取り!もっと見ていたいですね~!岡田君戦をする真の官兵衛を演じているね~。九朗衛門と的場さんのシ~ンも無理がなく自然でよかった。一生懸命演じているから本当に終わってしまうのが寂しいなあ~‥。

投稿者:最後の公方様、徳川慶喜公の談話②

投稿日:2014/12/11

(この慶喜公は大正時代まで生きたそうだ)
毛利を残したのも、薩摩を許したのも家康公の温情かもしれないけど、
肝心要の相手は、温情とは捉えていないようだ。
別に徳川のカタを持つつもりは全然ないが、徳川家の未来を考えれば、
家康公は、この二藩、やはり潰しておくべきだったと思うよ。

投稿者:最後の公方様、徳川慶喜公の談話①

投稿日:2014/12/11

「長州」は当初から「尊王・攘夷」の旗を揚げ、徳川の「敵」と認識
していたので何とも思わないが、「薩摩」は幕府の味方とか、「友人」
のようなフリをし、何くわぬ顔をして親しげに接近したあげく(公武合
体策、四賢政治の事か?)、秘かに敵である長州と「薩長同盟」を結
び、武器を横流しし、長州と謀り、幕府にドドメを刺したので、一つ
の時代が過ぎても、許しがたいと言っていたらしい。

投稿者:JPG&R☆→は日常茶飯、江戸には妻子を

投稿日:2014/12/11

「外様大名」でも、「徳川家」からの【御輿入れ】で「姫君」を迎えると、「譜代」をスルー「親藩」扱いで、【江戸幕府命】の『公事』が激減、財政的に持ち直し必至と為る。「徳川御三家」も含め、何かに付け、【幕府】の顔色を伺う「大名諸侯」。「家康公」が『起草』した【武家諸法度】で~金縛り状態。「東海道」はじめ、重要拠点には「親藩・譜代」を配置、関が原以降の「外様」に眼光鋭く監視。『国替え~取り潰し』等→

投稿者:JPG&R☆如水へ思慕~家康公に心髄

投稿日:2014/12/11

『心情的』には、己(長政)を育て上げてくれた「父親(如水)」に『思慕』を有するは必然。だが、「長政」の内には、【黒田家当主】の『立ち位置』で「家康公」を支えて行くとの『武将』としての想いが「実父」を超越して居たは『明白』。ドラマ中の「如水」の『長政を信じて居る』と云う台詞は創作、『(家康公に拘る)おまえ(長政)を見放した』が「如水」の本心本音。無論、「如水」と「長政」に【共有=黒田家】は有った。

投稿者:加賀の前田利長は東軍ですよ。

投稿日:2014/12/11

五大老の一人、前田利家が死んで、家康公が得意の謀反のいいがかり
をつけ、利家の正室まつさんが人質に取られて、以後、家康に頭が上
がらなくなった前田家。最後まで西軍で抵抗した島津家とは違う。
それに幕末は「尊皇の思想」があり、勅命とやらで、外様大名のクセ
に幕政改革で、島津家が参勤交代を自体を止めさせた。
幕府側から見れば改悪。

投稿者:加賀100万石

投稿日:2014/12/11

外様大名で100万石あると当然、江戸幕府が謀反を警戒する。
その疑いの目をかわすため、この藩は財力を文化文明にあてた。
そのため加賀は100万石あっても、文化文明第一主義で、
人畜無害を印象づけたが、江戸時代に前田家は本式に寝てしまい、
外様でも島津とか毛利とかの「雄藩」とは違い、世間の期待する
事はなかったよ。

投稿者:JPG&R☆【宝暦治水事件】悲惨!!!!

投稿日:2014/12/11

得る覚えで失礼致しました。【宝暦治水事件】1754年2月~1755年5月に架けて、『江戸幕府命』に因り、『薩摩藩』が施工した、【木曽三川:「木曽川」・「長良川」・「揖斐川」】の『治水工事』。この『治水工事』で多くの『薩摩藩士』らの崇高な【生命】が失われたばかりでは無く、その『費用』は、【40万両<現代換算:¥300億】~その大半は、『薩摩藩』の「大坂商人」からの借り入れとも聞いた。

投稿者:ピンチを乗り切った薩摩藩

投稿日:2014/12/11

江戸時代の中期の話のようだ。
既に66万両の借金があった薩摩藩に更に40万両の借財。
濃尾平野の治水工事代、確かに幕府に散財させられたようだね。
幕府に内緒の密貿易と奄美大島のさとうきびの増収で乗り切っ
たようだよ。

投稿者:長政と如水

投稿日:2014/12/11

実の親の如水の活躍、出来事を歴史の記録として残したのは、黒田家
の長政です。如水を尊敬する気持ちが強いのです、長政は。
妻の義父より実の親を慕うほうが自然です。
史実では、家康は長政の黒田家とは別に、如水に領地と官位を与える
という家康の申し出を、苦笑しながらやんわり蹴ったそうです。
「我が身は何ぶん隠居の身で、愚息の長政が分不相応に頂いておりま
すので」という理由で。

投稿者:JPG&R☆薩摩藩90万石散財させた幕府

投稿日:2014/12/11

「加賀百万石」と並んで、外様大名の代表格「薩摩藩」には、【参勤交代】は堪えた筈。それに、【江戸幕府】の数多の『公事』も「薩摩藩」には因り多く課せられた。『得る覚え』だが、「東海地方」の【治水事業】をも【江戸幕府】からの書状ひとつで「薩摩藩の下級武士」まで借り出されて~至難の土木作業に「薩摩藩」は「人も金も」甚大な規模・額で拠出、「東海地方」に地元民の感謝の印として石碑か銅像が建って居る筈。

投稿者:島津③

投稿日:2014/12/10

西軍に属し、負けたほうに味方しながら、国元に帰ってから
「我が罪を許せ!一坪の領地をも削るな!聞かないのなら徹底的に
戦う!」と言ってさすがの家康も呆れたらしい(笑)。
家康公も島津勢の無類の強さを関ヶ原で見せつけられて、考え直し
たようだ。
赤備えの井伊直政も島津との鉄砲傷が元で、やられたようだし。

投稿者:島津②

投稿日:2014/12/10

秀吉の朝鮮出兵の時から島津は勇猛果敢で「シマーズ」と朝鮮人を震
え上がらせたらしいねえ。
数年前、鹿児島に旅行に行ったことがあるが、示現流という独特の
暗殺剣がこの地方にはある。幕末では新撰組ですら、薩摩の人間に道
を空けたそうだ。死をも恐れぬ日本最強軍団、薩摩藩。
関ヶ原でも東軍に囲まれながら、家康公の本隊のド真ん中を堂々、
敵中突破して、そのまま逃げたらしい(笑)。

投稿者:島津①

投稿日:2014/12/10

島津は高い石高の割りに関ヶ原ではあまり、国元から兵力を集められ
なかったようだねえ。国元と上方との連携が、もう一つだった。
中央の情報に暗い、方言(薩摩弁)が聞き取りにくいため、他の大名
とのコミュニケーションとか、情報収集に苦慮したそうだ。
やがて幕末になると、その時の反省、関ヶ原の反省が役にたつのだが。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/12/10

松坂桃李くん、速水もこみちさん、
時代劇は初めてだったのですねえ。
そういうふうには全然見えませんでしたが。
それと中谷美紀さん、彼女、大河ドラマ、
初めてだったのですねえ。
凄くびっくりしてます。
彼女に物凄く泣かされたもので(苦笑)。

投稿者:島津と毛利②

投稿日:2014/12/10

大阪夏の陣が終わっても、家康は最後まで島津と毛利の西国大名を
気にしていたようだ。我が骸を西に向けよと遺言していたらしいね。
無処分の島津(薩摩)と
かろうじて家の存続を認められた毛利(長州)。
家康は後々の事、子孫の事を考えれば、この二藩、やはり潰しておく
べきだったねえ。
この二藩が幕末をリードし、次の大河ドラマ「花燃ゆ」を盛り上げ
る(笑)。

投稿者:島津と毛利①

投稿日:2014/12/10

最後まで西軍に属しながら、領地を少しも没収されなかったのは、
結局、九州の島津家だけか。
家康は、如水軍を警戒していたからねえ。しぶしぶ島津を許した。
薩摩攻撃中止命令をしたのは家康本人だが、『薩摩無処分』。
こうせざるを得なかった事態に家康自身、酷く不機嫌だったらしいね。

投稿者:JPG&R☆如水と家康公、統治能力で差異

投稿日:2014/12/10

客観的に「如水」と「家康公」を冷静に判断すればする程、それぞれの『立ち位置』が見える。あくまでも「如水」は、天下人の『軍師』としてこそ、彼(「官兵衛」)の際立った『能力』が遺憾なく発揮できる。それに、「官兵衛」の『軍師』としての『能力』は天賦の才だが、『武道』に卓越した「家康公」は、『軍事面』ばかりでは無く、『政治・経済・法律』などなどの【統治能力】にも己を磨き上げて「天下人」の【器】に足りた。

投稿者:JPG&R☆長政の選択肢は、実父より義父

投稿日:2014/12/10

「長政」は、既に「黒田家当主」として【独立】して居た。「長政」の選択肢根源は【黒田家存続】~最早、「実父如水」は『過去のひと』~「長政」は、「実父」より「義父」選択は明白。前妻「糸」は大人しく実家に戻ったが、『ゴネタラ』~【「糸姫」は成敗必至】。「栄姫」との間には「男の子が三人」~「家康公」の手前もあり~「長政」は「栄姫」をかなり大切に接した。総ては【お家の為】~『戦乱の世』なら必然である。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/12/10

このドラマは、いよいよ最終回「乱世ここに終わる」のカウント
ダウンに入ったけど、盛り上がりが凄くて、最後まで目が離せな
い凄い展開になったねえ。
前作の『八重の桜』も前前作『平清盛』も、この12月の時期、
私は大河ドラマには、何の興味もなかったのに。
脚本も確かによかったけど、皆さんの熱演のおかげ。感謝。

投稿者:家康の薩摩攻撃中止命令

投稿日:2014/12/10

家康は、11月に西軍に属した島津の薩摩攻撃中止命令を出した。
この攻撃中止命令が、如水の天下取りの野望がついえた瞬間だ。
西軍に属した薩摩攻撃を如水に任せておくと、降参した薩摩兵を
自分の兵に取り込み、それこそ如水の兵が雪だるま式にふくれあがる
可能性があるしねえ。
最終回は、如水の腹の内を読んだ家康の勝利で終わりそう。

投稿者:如水

投稿日:2014/12/10

関ヶ原の戦いとか、九州席巻か終わった後、
後日談で如水は長政に「あの時はわしはお前には悪いが、(家康につ
いた)お前を見捨てるつもりだった。」と言ったそうだね。
歴史本に出ていた。
如水は本気で天下取りの野望を持っていたようだ。
史実は、ドラマのように楽観的に「わしは長政を信じておる」とは言
っていないようだ。
一説によると、如水はこの九州席巻で100万石かすめ取ったらしい。

投稿者:家康公

投稿日:2014/12/10

家康公は過去に確かに正室も息子も殺した男だが、あの連中(正室の
築山殿、息子の信康)は、謀反の疑いが出ていた連中で、家康が同盟
国の信長の目を恐れたからだよ。
家康が好きで処分した訳ではない。イヤイヤでやった。
織田信長との同盟を守るためには、仕方がなかったんだよ。
愛妻も世継ぎも泣いて馬謖を斬る家康。

投稿者:水の如く

投稿日:2014/12/10

福岡で生活していながら、黒田官兵衛は、やはり播磨から来た人との印象強かった。このドラマ見て、もう一度、官兵衛ゆかりの地や博物館に足を運んで、如水庵の、お菓子を食べている。大河ドラマらしい、ドラマでした。人を掘り下げて、葛藤を描いてくれています。後1回ですね。岡田くんと三人の腹心、女優陣の奮闘に感謝。最終回は一週間飛びますが水の如くの心境で見ます。

投稿者:JPG&R☆如水の首が飛んだ事だろう

投稿日:2014/12/09

【戦乱の世】には、親子も兄弟も無い『非情な社会』。【喰うか喰われるか】だけが冷酷に存在する。万が一、「如水」が『九州平定』~中国地方を突き抜け、【天下取り】に名を上げ、『関が原』に迫ったとしたら、「家康公」は「長政・清正・正則」の三名に「如水討伐」の【先陣】を命じた事だろう。「如水」の首が【播磨近辺】で飛んだ事だろう。「家康公」は「正室と嫡男」を「政宗」も「弟君」を死に追いやって居る。

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