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「軍師官兵衛」のクチコミ(口コミ)(9ページ目)

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投稿者:JPG&R☆武功には恩賞が付物~三成怠る

投稿日:2014/11/25

武将自身の器量を如何に【戦場】で遺憾なく発揮して『武功』を上げるかだが、本人の『軍事的センス』~果たして、『誰に付くか』で180度~天地ほど『人生が激変』する。それに【戦乱の世】に有って、因り肝要なのが【『武運』】と云う~『運勢の強さ』にも掛って来る。あと物凄く大事なのが『体力』、『基礎体力』を有してこそ、【戦場】に於ける『強靭な気力・精神力』に繋がる。『多大な武功』には『十二分』な【恩賞】が。

投稿者:ふむふむ

投稿日:2014/11/25

今回はホント、官兵衛が腹黒く見え過ぎな演出と言うか、岡田さんの表情が悲しかったよ。人の悪そうな口元ニヤリが何回もあって「こんな人だったけ?」って感じだったもん。生き残るための駆け引きは必要だけど官兵衛のお父さんとか隆景とか、駆け引きしてる時もカッコよかったのに官兵衛は悪者っぽく見えた。三成は哀れな感じが良く出てたと思うけど。

投稿者:又兵衛と黒田長政

投稿日:2014/11/25

長政は確かに関ヶ原の功により、黒田家12万石から52万石の
大名になるみたいだねえ。でも父と慕う如水の死あたりから、後
藤又兵衛が黒田家から離れていくのかねえ。
一説によると長政が又兵衛の再就職を邪魔したと聞いている。
大阪の陣で二人は交える所まで放送があるのかな。

投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/11/25

輝元公は確かに毛利の殿様なんだけど、現在の天皇制と同じ「象徴」
「シンボル」的な存在。実権はない。
殿様は「君臨すれぞ、統治せず」が毛利家。
実際の運営とか判断は「吉川元春」「小早川隆景」の二つの川、
『両川体勢』に行い、殿様の輝元はこのシステムに依存していた。
でも、もう二人とも関ヶ原の合戦前に死んでしまったんだよねえ、
そこで外交僧、安国寺恵瓊の重みが増す。

投稿者:匿名希望の上原サト:毛利藩⑥

投稿日:2014/11/25

その誓約書の原本は元就は自分の棺に入れ、その写しは二人の息子と
孫の輝元が保管するという念の入れよう。
広島の小さな一豪族から一代で中国地方の覇者に、大毛利にした毛利
元就の遺訓はそれぐらい大きい。

投稿者:匿名希望の上原サト:毛利藩⑤

投稿日:2014/11/25

元就が一番期待していた長兄の隆元が早死にしてその息子の輝元が毛
利家を相続する事になった(元就からみると孫)けど、元就は死ぬ前
に、二人の息子を呼び出し、吉川元春と小早川隆景の二人に「必ず輝
元を補佐する旨」の誓約書を書かせたと聞いている。

投稿者:匿名希望の上原サト:毛利藩④

投稿日:2014/11/25

輝元は確かに毛利の主なんだけど、現在の天皇と同じ「象徴」「シン
ボル」的な存在。実権はない。
実際の運営とか判断は「吉川元春」「小早川隆景」の二つの川、両川
体勢に依存し運営していた。
毛利元就に三人の息子がいた。
若い頃大内氏に行っていた長男、毛利隆元。
吉川家に養子に行った次男、吉川元春。
小早川家に養子に行った三男、小早川隆景。

投稿者:如水 

投稿日:2014/11/25

「官兵衛」が『隠居の身』を押し通して【中津城】に引揚げた時点で、「官兵衛」は【中津城留守居役】として、「徳川家康公」方に『お味方』すると、関が原以前に【密約】を交わして居た事は、諸書物からも明白で、「官兵衛」は、己自身が『天下人』の器に在らずと云う事は解り切って居た。

投稿者:JPG&R☆虚言壁で自滅した「石田三成」

投稿日:2014/11/25

【戦乱の世】でも『行政職』は肝要だが、「石田三成」は己の諸領地では『善政』を敷き~領民に慕われて居たとも聞くが、晩年の「秀吉」と「秀吉の寵愛を受けた淀殿」べったりで~挙句の果て数多の虚言壁が有った様に読み解ける。『文治派』の「三成」は【人間性に欠陥があった】と推察する。命懸けの武将『武断派』の「加藤清正」などを陥れる様な『戯言』の数々は「三成自身」の首を締める事に為って行くのは必定であった。

投稿者:とも

投稿日:2014/11/24

戦のない世を目指していた勘兵衛なのに・・・。今回の勘兵衛を見ていてすごく違和感を感じました。駆け引きを楽しんでいる感じがとても嫌です。それと、石田三成があまりにも嫌な人物になっていて、残念です。人望はあまりなかったかもしれませんが、それほどひどくはないと思います。今回は黒田家の人々に好感が持てませんでした。

投稿者:ネコズキ

投稿日:2014/11/24

毛利は、家康を選べない、なぜ選べない、頭首が明確な今を生きていなかったからか。小早川隆元が生きているころから何の決断もさせてもらえなかった輝元。如水の前で不安げなまなざしを見せていた‥。「如水殿どう動くことが天下泰平、毛利が生き残る道か?」と尋ねられれば‥。中津からどのように兵を動かすにしろ、如水天下を狙ってみまするか!

投稿者:JPG&R☆「長政」の義父に「家康公」

投稿日:2014/11/24

武田家に仕えていた信濃の武将「保科正直」の娘が「栄姫」。【長篠の戦】で「信長」に敗れた後「保科」は「家康公」の配下に為り大切にされた。「栄姫」の覚悟も見事~己の立ち位置と~「家康公の養女」と云う立場を十二分に会得。「官兵衛」より遥かに『ドライ』な「長政」は「糸姫」に引導を。「長政」の『義父が「家康公」』~「栄姫」との間に~三男二女を設けた「長政」は「黒田家」を【磐石】な立ち位置に見事シフト。

投稿者:JPG&R☆総て官兵衛の思惑通り

投稿日:2014/11/24

昨夜の「官兵衛」は、些か【ニヤケ気味】~アクションの度に【ニヤニヤ】。「黒田家当主」を「長政」に委ね~『隠居の身』と云う、都合の良い【隠れ蓑】を自由自在に『駆使』。「家康公命」と適確な判断を履行する「長政」に『いつの間に~猪武者が』と悦びを最早隠せない「官兵衛」。「糸や菊」が可哀想とは云いつつも、これも又「長政」の【機を見る】成長に喜ぶ。「栄姫」との『婚姻』は「官兵衛」の最大の慶びでもある。

投稿者:匿名希望の上原サト:毛利藩③

投稿日:2014/11/24

120万石の大企業から36万9千石の中小企業にまで落とされ、
周防・長門の2カ国(今の山口県)の拓けていないド田舎の街、萩
に転封される惨めな毛利藩。
「この野郎、今にみてろ」と萩の士族は西枕。
東におられる将軍様に足をむけて寝る習慣(笑)。
幕末、次の大河ドラマの「花燃ゆ」の毛利藩、吉田松陰を理解する
には格好の展開。
数百年の時を経て、毛利復活。幕末では徳川に逆らうぞ。

投稿者:匿名希望の上原サト:毛利藩②

投稿日:2014/11/24

親徳川派の吉川広家が勝手に徳川に通じていたにも拘わらず、安国
寺恵瓊の策により、政治的に輝元公が西軍の総大将に祭り上げられ、
結果的に「関ヶ原の合戦」で負けたほうに味方して不利になった
毛利藩。
輝元は大軍を持ちながら大阪城からぼ~として動かず、
秀元も合戦場で「空弁当」。毛利は、徳川と戦わずして負けた。

投稿者:ネコズキ

投稿日:2014/11/24

長政と糸、二人は大変な場面に生きていたんだね~。秀吉の養女として黒田家に嫁ぎ、のびのびと生きていた糸。朝鮮への戦いの中、二人をどうしようもない谷底へと突き落とした悲劇。熊之助ことは忘れるしかしょうがないね~何も離縁とは‥。悲しすぎますね~。光の悲しみも伝わってきました。中谷さんほんとに悲しい場面が多いですね。

投稿者:匿名希望の上原サト:毛利藩①

投稿日:2014/11/24

さすが如水。毛利が分裂気味なのを、キチン見抜いているわ。
毛利家自体は大きくても、輝元は実戦力がなく、吉川は反三成派
で親徳川派、怪僧安国寺恵瓊は、三成と通じて、輝元公を反徳川
の筆頭、総大将に祭り上げる策。
確かに毛利は分裂気味。

投稿者:ネコズキ

投稿日:2014/11/24

黒田家父と子、長政も立派になって如水もよかったよかった。今回は各々の
台詞に注目したね~。まず、三成を訪問した如水を「合わぬほうが良い!たぶらかされまするぞ!」そのとうりでしたね~。笑いました。光との会話で「殿‥天下をお取りなさいますか?」「それもよいの~」大河もあと4回‥。余裕の演技でしたね~。しかし岡田君ニンマリと楽しそうに笑う笑う!

投稿者:JPG&R☆→【「三成」の耳に念仏】

投稿日:2014/11/24

【虎の威を借る狐】と云うより、「家康公」が『狸』だから「秀吉」は『狐』、故に【大狐の威を借る子狐】~子狐とは、無論「淀殿」~「秀頼」六~七歳では分けも解からず。「淀殿」も「上杉討伐」の総大将~大老筆頭の「家康公登壇」では、『米も金も』拠出するしか術はない。「上杉討伐」は、建前の「家康公」。「三成挙兵」で「家康公」の【「上杉討伐軍団」を『豊臣討伐軍団』にシフト】させてしまった。「官兵衛」最後忠告も→

投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/11/24

さすが家康公。食えんわ。
大阪をわざと留守にし、わざと隙を見せ、その間に三成に挙兵させ、
上杉討伐隊という秀頼公の兵隊を一気に徳川の私兵にしてしまうとは。

投稿者:JPG&R☆関が原の戦い一日で決着した訳

投稿日:2014/11/24

『上杉謀反』は「家康公」の謀だが、『上洛せずは謀反の兆し』と「淀殿」を呷り~【黄金二万両と米二万石】を「豊臣家」から拠出させ~物の見事に【大義名分】を手中にした総大将「家康公」の狙いに嵌った「三成」挙兵を聞き、急遽「三成制圧」にシフトチェンジ。【天下分け目】と云われる『関が原』だが、「三成」サイドの総大将「毛利輝元」は参戦せず。「小早川秀秋」・「吉川広家」・「脇坂安治」が寝返りでは戦に為らない。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/11/23

石田三成はやはり、黒田如水を無視か。
如水は隠居の身だし、石高だけで動員できる兵が決まると思って、
人を石高だけ見ているようだ。
やはり兵站、石高の足し算しかできない三成。
自分のところの味方に吉川広家とか、赤座、小川、朽木とかの小
大名まで入れている所をみると、西軍は結束力に問題があるみたい
だねえ。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/11/23

お先にBS3視聴。
糸さんに付いていた侍女、いつも長政にキツイお富役の人、
玄覺 悠子(げんかく ゆうこ)さんだ。
ほら、名作朝ドラ「カーネーション」で糸子に「せんせ~」と
言っていた昌子役の人だわ。懐かしいねえ。
栄姫との祝言は糸さんの事があったので、喜べなかった。

投稿者:ふむふむ

投稿日:2014/11/23

岡田さん、ちょっと表情作りすぎ。こっちの気持ちが引いちゃうよ。
糸さんは本当に可哀想。政略結婚させられ、政略離婚させられ、この時代は身分がある女性の方が不幸せだよね。
光さんはいつ見ても素敵。大げさなお芝居じゃないとこが好き。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/11/23

今日ありますねえ、放送。
「如水謀る」か。どういう意味なんだろうねえ。
とにかく楽しみ。

投稿者:JPG&R☆秀吉遺訓完全無視~自在家康公

投稿日:2014/11/23

慶長3年(1598年)「秀吉」死去直後、直ちに「家康公」の動きに呼応するが如く、「長政」は、正室で蜂須賀小六の娘「糸姫」を離縁~以降『一世紀』に及ぶ~絶好状態に陥るが、ポスト「秀吉」所では無い【実力者】「家康公」の思惑と「黒田家」の思惑が合致した瞬間だった。それが、「黒田長政」と「家康公」の姪で養女の「栄姫」婚姻。「秀吉」の【遺訓】等は完全無視~「三成」のアタフタ振りが今夜視られそうな予感。

投稿者:ネコズキ

投稿日:2014/11/22

官兵衛が前田利家に面と向かって「あなたには天下は取れませぬ。」言えるかね~!しかしそこがこの時代を自分の生き方で多くの歴史に名を遺す人々と関わってきた才能か。若い長政を父として、一人の軍師として静かに見守る、家康にどう黒田家が関わり生き延びていくか、終わりまで息を抜くことなく描いてほしいなあ~。それにしても糸の世話をする女性の表情や態度が気になるね~。長政に対して態度が大きすぎるね~。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/11/22

昨日ね、来年1月4日スタートの大河ドラマ『花燃ゆ』のヒロイン
井上真央さんと『軍師官兵衛』の岡田准一さんとの間で恒例の
『バトンタッチセリモニー』があったようです。
『軍師官兵衛』の成功を受けて、ひさひざに大河ドラマ復活で
NHKも力が入っているようです。
豪華キャストの「セクシー大河」。美女、美男子揃い。楽しみ。
このよい流れに乗りたいねえ。

投稿者:匿名希望の上原サト:最終回延期

投稿日:2014/11/22

『軍師官兵衛』の最終回(12月14日)が、衆議院選投開票日と
重なり選挙報道を優先するため、12月21日に延期される事がN
HKから発表されました。最終回の延期について官兵衛役の岡田さ
んは「大事な事なので当たり前。長く『官兵衛』を楽しみにしてい
ただけることにつながりますし」と前向き発言。
解決してよかった。

投稿者:JPG&R☆関が原~東軍で甚大な武功長政

投稿日:2014/11/22

「官兵衛」は元より、「長政」も勇猛果敢な武将であった。【軍師】として類稀な稀有の天賦の才を有した「官兵衛」の嫡男「長政」は、若かりし日々には『猪突猛進』パターンでは有ったが、やはり【血筋】~「長政」も「官兵衛」には及ばずながらも『戦略に長けて』居た。尚且つ、兵揃いの「家康『家臣団』」のうちでも、顕著な武功を次から次へとあげて「家康公」の【信服】に見事応えた。『黒田を離すな』~流石「家康公」。

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