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「軍師官兵衛」のクチコミ(口コミ)(3ページ目)

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投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/12/16

歴史的に見てもやっぱ『幼君』と言うのは利用されやすいし、
少し問題だねえ。
三法師(織田秀信)を利用して織田の財産を乗っ取り、それを
足かがりに天下人になった秀吉。
秀頼公の名を使い、豊臣家を弱め、天下を取った徳川家康。
明治帝が幼い事をよいことに、倒幕のニセの勅命を出した岩倉
具視。歴史は繰り返すねえ。

投稿者:家康公

投稿日:2014/12/16

家康公が好きか嫌いかは別として、「天下人」に相応しい器だった
とは思う。逆境に強かったね、凄く。
三成が挙兵したときも「内府ちかいの条々」で謀反人扱いされ、東
軍は「賊軍」にされた。関ヶ原の合戦陣地図見ても、東軍は西軍に
包囲されており、決して有利な立場ではなかった。
実際、西軍と戦っても大苦戦。
それをはねのけたのは、流石だ。苦労人で底力がある証拠。

投稿者:関ヶ原

投稿日:2014/12/16

関ヶ原の戦いの結果は、小学生の子供でも知っているけど、正確に
理解している方は少ない。豊臣家対徳川家の戦いではない。
又その優劣を競っているわけでもない。
東軍に加担している連中でも、亡き太閤殿下に逆らうつもりはない
大名もいる。豊臣恩顧の福島正則もそう。ただ家康に利用された。

投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/12/16

昨日は「城井谷(きいだに)の悲劇」の放送を見た。
宇都宮とは一旦領土安堵を約束しながら結局、秀吉はそれをホゴ。
如水は、宇都宮との平和的解決を図るけど、秀吉は宇都宮の
帰参を認めず、討伐を厳命。従わねば、黒田家を取りつぶす
構えを見せたため、追い詰められた黒田家。
長政は、ここから人が変わっていったねえ。

投稿者:福島正則

投稿日:2014/12/15

黒田長政に乗せられて、東軍の先鋒を努めたあげく、城まで貸した
福島正則(市松)。
三成嫌いが高じて結果的に、東軍の家康の天下取りに力を貸してしま
った。家康は豊臣恩顧の正則さえ味方にできれば、この戦さ、勝てる
と思ったようだ。
友人の長政に騙されて、豊臣の力を結果的に自分で削いでしまった格
好になったが、晩年、正則はどう亡き太閤殿下の事を思っていたんだ
ろうかと思う。

投稿者:三成の旗印対家康の旗印②

投稿日:2014/12/15

一方、家康の旗印は「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど、ごんぐ
じょうど)。徳川の戦争哲学らしいよ。
現世(穢土)を嫌い、死(浄土)を憧れよ、という浄土宗の言葉らし
い。家康の宗旨は浄土宗で、配下の者も浄土宗を信仰している者が多く、
この八文字を見れば、死をも恐れぬ気持ちが起こるという。
厭世的な思想だね。どっちも負けるな(笑)。

投稿者:三成の旗印対家康の旗印①

投稿日:2014/12/15

三成の旗印は「大一大万大吉」。
なんかラグビーの格言ような感じ(笑)。
「ワン フォア オール」を連想する。
「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々
は幸福(吉)になれる」という意味だそうです。
現世利益の思想だね。

投稿者:JPG&R☆秀吉直系の重み

投稿日:2014/12/15

「茶々」が「三成」の唆しに乗らずに「秀頼」を
『西にも東にも就けなかった』事を
【静観】と云ったのだが
『八歳でも、「秀吉」直系』
「秀頼」出陣で【事態】動くは必至。

投稿者:氏家行広③

投稿日:2014/12/15

行広には後日談がある。行広は戦後なお生き、家康公の秀頼に対
する仕打ちを見て「あの時、いずれが正か邪か納得するまで兵は
動かさぬと申したが、今ようやく納得したわ。家康は邪である」
と言ったらしい。遅過ぎるわ~(笑)。
彼は関ヶ原戦後15年目に起こった大阪の陣に参加し、秀頼に殉
じて自刃している。

投稿者:九州の清正と如水

投稿日:2014/12/15

関ヶ原の合戦の時、この時期、加藤清正は九州にいたんだよね。
熊本?関ヶ原に参加していないんだよねえ。清正。
如水は、清正を巻き込んで、関ヶ原が終わってもまだ、島津
攻撃を考えていたようだ。「家康公のため」と称して。
油断ができない男だね。
家康自身が島津攻撃中止命令を出されなれば、とんでもない事に
なっていたね。

投稿者:腕白坊主たち

投稿日:2014/12/15

長政は人質時代に知り合った加藤清正(虎之助)とか福島正則
(市松)とか腕白坊主と仲がよかったので、東軍に引きずりや
すかったんだろうねえ。

投稿者:氏家行広②

投稿日:2014/12/15

結局、行広は桑名城に籠城して動かず。西軍に屈したが「されば
加盟はする。が戦さはせぬ」と言う。「挙兵の趣旨に賛同する事
は道理に合うが、戦さは道理に合わぬゆえこれには参加できぬ」と
いう事らしい。このまま城を守るのみで関ヶ原の終演を迎えた。
その後、東軍の大軍に囲まれて降伏し桑名城を明け渡して、その
まま高野山に入った。

投稿者:氏家行広①

投稿日:2014/12/15

秀頼が靜観しているというよりは、8才の遺児に何ができるのかと
いう感じ。内紛は内紛だが、東西両陣営とも「秀頼公のために」
言っているだけ。
中立を守った大名がいる。伊勢桑名の城主で氏家行広。
石田三成が秀頼公のために挙兵し、家康を討つという手紙。下知状
は秀頼の名前。家康の上杉征伐も秀頼の名で行われており、双方、
私戦では「公」戦。これでは氏家判断できぬ。人を惑わせる状態。

投稿者:JPG&R☆駄目親父と取り巻きの犠牲秀頼

投稿日:2014/12/14

『天下分け目の関が原』とは云っても、衆知の通り、【豊臣家家臣団同士の争い~内紛】。『関が原』に集結した【数多の、「豊臣家恩顧の武将の面々」】が東西に分かれての「豊臣秀頼代理戦争」。東派閥と西派閥、この両者の統括者は「秀頼」だから、「秀頼」は【静観】して居るは『大正解』だった筈が、やはり、強欲な「秀頼の駄目親父秀吉」の『朝鮮出征や三成、茶々』が【元凶】。「おね」が嫡男を産んで居ればとの想いが過ぎる。

投稿者:天下取りの野心

投稿日:2014/12/14

黒田長政が小早川を裏切らせた功は、家康は高く評価した。
家康公に褒められたとか、手を握って感謝されたという話を、
自慢げに父親如水の前で言うと、
「わしのマネをして軍師を気取るのなら、なぜ天下を狙うような
策謀をせぬ」と後で怒られたようだねえ、長政(笑)。
長政のためにあっけなく1日で終わった東西合戦。
自分の父親の中にある大きな天下取りの野心、野望を見抜けなかっ
たようだね。

投稿者:東軍は苦戦したんだよ

投稿日:2014/12/14

黒田長政の策謀、暗躍により、あっけなく1日で終わった関ヶ原。
だけど、決して楽な戦いではなかったんだよ。
東軍の圧勝ではなかった。
黒田隊も石田隊に押し切られそうになったし、福島隊も壊滅状態。
小早川秀秋の裏切りがきっかけになった。
大谷隊が一旦、追い返したようだが、裏切りが裏切りを呼んだ。
赤座、小川、朽木、脇坂等、裏切りの連鎖反応に。

投稿者:選挙かあ

投稿日:2014/12/14

如水の軍は、東西どちらにも味方せず、
東西勝った方に決戦を持ち込むと、ドラマの中で如水が部下に言って
いましたよ。第三勢力になる。つまり漁夫の利作戦。
それにしても、今日は選挙で放送がなくて残念だったねえ。

投稿者:関ヶ原は、街道が交差する交通の要所②

投稿日:2014/12/14

家康の方が得意の「野戦」に持ち込みたかった。
東軍が西軍の前線基地、大垣城を無視して、大阪と大垣城の連絡
を絶つため、三成の居城の佐和山城攻撃という情報を故意に流した。
西軍がそうはさせじと予め先回りして、松尾山に陣取る小早川勢
の横に着陣して、街道封鎖をして待ち伏せしていたというのが実情。

投稿者:関ヶ原は、街道が交差する交通の要所①

投稿日:2014/12/14

最初から決戦地が関ヶ原での決まっているわけではないよ。
東西両軍とも。
戦いの前線は、双方、濃尾平野あたりと読んでいたようだ。
西軍の前線基地が大垣城だし、東軍の前線基地が福島正則の居城、
清洲城だしねえ。長期戦の城攻めを考えたようだ。
西軍の大垣城と家康が姿を見せた赤坂見附はおよそ4キロだし。

投稿者:JPG&R☆官兵衛【シード権】狙い説

投稿日:2014/12/14

面白い記事を読んだ。【官兵衛シード狙い説】。豊臣家臣団の『内部抗争』参入に~『関が原近辺』に全国津々浦々の『武将』が馳せ参じて、手薄に為った『九州・中国地方』、中津城金蔵を開け~農民や町民を『金で雇い~鍛え上げた「官兵軍」』。九州平定後、膨大な軍勢を引き攣れ~中国地方制圧~大坂・京に上り、疲弊し切った~東西両軍何れかと~【決勝戦】の予定が~六時間余りの「家康公圧勝」では「官兵衛」もお手上げ。

投稿者:中国の律儀者③

投稿日:2014/12/14

毛利家は秀吉に恩を売り、秀吉の信を得た。
結果、毛利輝元は豊臣政権下では五大老の一人になり、隆景と恵
瓊も加増。
これと同じ事を今回「関ヶ原の合戦」で、南宮山の吉川広家が単
独でやろうとしているよ。
毛利の兵隊を動かせないことで、家康公に恩を売り、家康の信を
得て、徳川政権でも毛利家の全領土を安堵させようとしている。
14日には領土安堵との家康と吉川広家の密約が既にできている。

投稿者:中国の律儀者②

投稿日:2014/12/14

本能寺の変の後、秀吉軍は直ぐ毛利との和睦に入った。
その和睦が成立した後、京都で異変があったという本能寺の変が
吉川元春の元に知らせが入った。直ぐに秀吉軍を追えという元春
の主張に対して、小早川隆景と安国寺恵瓊の二人は反対し、結局
兵を動かさなかった。中国の律儀者との評判通り。

投稿者:如水

投稿日:2014/12/14

如水の九州での暴れっぷり見ると、亡き太閤殿下に警戒されたの
もわかるような気がする。
能力がありすぎで、秀吉に警戒されたこそ、功績のわりに13万
石ぐらいで押さえられた黒田官兵衛。
如水は自分は水だと言う。今天下という器に向かっている如水。
誰の軍師でもなく、はたしてどこまで自分がやれるのか、自分の
能力の限界を試してみたいのだろう。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/12/13

やっぱこの年末に、天下分け目の「関ヶ原の合戦」を持ってきたの
がこのドラマの盛り上がりというか、成功の原因の一つだと思いま
す。いろんな大名のファンがいますからねえ、現実に。
年末のNHK「紅白歌合戦」みたい(笑)。
ま、歌合戦なら例え負けても、負けた方はそれ程、酷い目にはあい
ませんが(笑)。

投稿者:成長度にびっくり

投稿日:2014/12/13

このドラマの「だし」様役の桐谷美玲さんの演技がよかった。
時代劇は初めての経験ではなかったのかな?
よかったです。

投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/12/13

「大河ドラマ軍師官兵衛トーク&コンサート」で後藤又兵衛役の塚本
高史さんが言っていましたけど、
最後、又兵衛と長政との決着があるようですねえ、如水の死後ですが。
そこまで描く?それならちょろっと大阪夏の陣まで出そうですねえ。
最終回56分枠ですから、どうなるのか分かりませんが。

投稿者:匿名希望の上原サト:よかった歴史観

投稿日:2014/12/13

前作のと違って、かなり史実を勉強しているなという印象があった
ドラマ。
やっぱ大河ドラマは、ホームドラマの要素もいるのかもしれないけど、
歴史がちゃんと書けてないとねえ、不満が出るのよ。
あ、時代考証の監修の先生が、歴史家の小山田哲男氏だったのか。
それで。う~ん。なるほど。

投稿者:竹中さんの自由な演技が楽しかった②

投稿日:2014/12/13

おね役の黒田さんにチュチュとか(笑)、本陣移動で、姫路城の
守りを職隆と光さんに頼みに来たときのシーンでも、光さん役の
中谷さんにも、コチョコチョしていた(爆笑)。他人の女房なの
に。竹中さん、やりたい放題。
中谷さん、笑いをこらえ必死の演技。
竹中さんの自由な演技に、全くカットがかからなかったねえ。

投稿者:竹中さんの自由な演技が楽しかった①

投稿日:2014/12/13

今週は放送がないので、録画で乗り切るつもりです。
昨日も見ちゃった「軍師官兵衛」の「播磨分断」「上月城の守り」
の週。いやあ、我ながら好きだね、相変わらず(笑)。
秀吉さん役の竹中さん、かなり役得の場面が多かったと思う。

投稿者:ネコズキ

投稿日:2014/12/12

善助が右手を顔の傍に持ってゆき、二本の指をゆっくりと上げてニンマリと笑う、官兵衛得意の「ブラックスマイル」をするところがいいですね~。岡田君の大河ドラマにかける熱意が出演する人皆に、何らかの影響を与えたのではないかと感じるシ~ンが多く、最後まで真剣に台詞を拾いながら見ましたね~。

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