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「軍師官兵衛」のクチコミ(口コミ)(2ページ目)

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投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/12/21

いよいよ今夜が最終回ですね。「乱世ここに終わる」か。
56分拡大枠。
楽しみですが、最後自分は気が抜けたような気分になるんでしょう
ねえ、たぶん(苦笑)。

投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/12/21

昨日は「高松城水攻め」「本能寺の変」の週を見ました。
あの頃はよかったですねえ。
官兵衛さんも三成も仲が良く巧くいっていました。
水攻めの工事も一致団結しておりましたねえ。
みんな仲がよかった。どうして内部分裂して『関ヶ原の戦い』と
いうこんな事になったのかと思いました。
秀吉が彼の人間的魅力一つで束ねていたのかも知れませんね。

投稿者:明日、最終回

投稿日:2014/12/20

先週は選挙速報とやらで、番組自体が吹っ飛んだけど、やっぱ
1週間も開けられると、禁断症状が出来ますねえ(笑)。
今日も帰って録画を見ます。
明日最終回が楽しみです。光さんの最終セリフも楽しみです。
最後、何と言うのかな~、光さん。

投稿者:官兵衛さん②

投稿日:2014/12/20

その官兵衛さんは、通常ドラマで子供時代から描かれる事は全く
なく、主人公が秀吉とときは、備中高松城攻めの頃に登場します
ので、かえって斬新な気がしました。
「秀吉の軍師」か。
よく知っている人(秀吉)から人間関係を広げるのは、未知の方
を描くのは、上手いやり方だと思いました。

投稿者:官兵衛さん①

投稿日:2014/12/20

大阪にいた頃に、若い女の子から「官兵衛さん」という言葉を聞
いたときがあり「?」という感じでしたが(笑)、地元関西人に
も慕われている事がよく分かりました。
当時から秀吉さんの「軍師」と言われていた事を思い出しました。
「軍師?竹中半兵衛さんじゃなかったけ?」言い返しましたが、
半兵衛さんの跡を継いだのですねえ。うん。

投稿者:関ヶ原の戦い

投稿日:2014/12/20

「軍師官兵衛」のホームページ見ました。
「関ヶ原観戦ポイント」が始まりましたねえ。
明日の放送で、関ヶ原の戦いはどう描くかは分からないけど...
島津の退却戦までは描かないのではないかと思う、時間の関係で。
如水の九州での戦いもあるしねえ。

投稿者:熟年の魅力

投稿日:2014/12/19

紫色の宗教色に身を包んだ坊主、毛利の外交僧、安国寺恵瓊さん
が渋くて好きです(笑)。

投稿者:総評

投稿日:2014/12/19

真っ直ぐな若い時の官兵衛と有岡城での幽閉、土牢の苦闘経て、
ダーク官兵衛に変身。岡田さんの演じ分けが見事でした。
荒木村重に閉じ込められた有岡城での土牢のシーンは、何度も録
画を見たけど、本当に不衛生で汚くてマジで心配した(苦笑)。
だって、ムカデまでいたのだから。

投稿者:私は福岡生まれでも

投稿日:2014/12/19

ジャニのファンでもないですが、
第1話、ナレーションの声が聞きづらいとの視聴者の声。
どうなることやら...と思いましたが、
上手く切り抜けたようですねえ、NHK。
他にも第1話カウントダウンの特番を組んでくれたり、岡田さん
をゲストに呼んだ有働アナの「本能寺の変」の特番も楽しく観ら
れました。よかったです。

投稿者:最後までブレなかった脚本

投稿日:2014/12/19

終始一貫性のある良いドラマだと思いました。
第1話の北条攻めの官兵衛の
「命をムダにされるな~。生きられよ!」
の冒頭のセリフ。
その後、官兵衛は、赤っ鼻の御着の殿(小寺政職)に裏切られ
荒木村重の土牢に入れられ、酷い目にあったが、結局、命を助
けた。終始ブレなかったねえ。

投稿者:清水宗晴

投稿日:2014/12/19

昨日も「長政初陣」の録画見てましたが、
やっぱ毛利方の清水宗晴、漢(おとこ)です。
武士の鑑だなあ。
官兵衛の説得にも恵瓊の説得にも耳を貸さない宗晴。
「裏切りで得た国など(長続きせず)裏切りで失う」か。
そうだよねえ、同感。

投稿者:匿名希望の上原サト

投稿日:2014/12/19

ここ数年で一番ハマった大河ドラマ。
来年の大河ドラマもこうであれば、嬉しいのですが..。
何よりも後1話で完走できる喜びのほうが、一番大きいです。
やるぞ!50話完走。
ここ数年の大河ドラマは、途中リタイヤが当たり前でしたから。
私は中谷さんの演技が大きかったなあ。

投稿者:匿名希望の上原サト:う~ん

投稿日:2014/12/19

ホームページ見ました。
光さんの『最終回セリフ予測』が始まりましたねえ。
何と言うのかねえ、光さん。う~ん。
「殿..」
私の予測。「殿..貴方が望んだ太平の世がついに来ましたよ。
争いのない世が。」

投稿者:匿名希望の上原サト:長浜城、彦根城③

投稿日:2014/12/18

彼らが亡くなって数年で、急速に体制崩壊している所も似て
ますね。井伊さんの場合は暗殺でしたが。
以後、命がけで体制を守ろうという人間がいなくなりました
ね。どこか腰がひけてた旧体制。
まさに以後は「ローリング、ストーン」。
城を見てそんな事を考えてしまいました。

投稿者:匿名希望の上原サト:長浜城、彦根城②

投稿日:2014/12/18

ああ~ここは24万石井伊さんのお城でしたねえ。
この城は石田三成の居城である「佐和山城」にも近く、今は廃
墟跡になっているようですが、石垣とかは再利用しているそう
です。
幕末の大老井伊直弼も石田三成も、落ち目の幕府、落ち目の
豊臣の権威を必死で立て直そうとした忠臣である所が、似て
いると思いましたね。

投稿者:匿名希望の上原サト:長浜城、彦根城①

投稿日:2014/12/18

数年前に大河ドラマ「巧妙が辻」の影響を受けて「長浜城」
を見に旅行に行きました。秀吉も使ったこともある城ですが、
ヒロインの夫の山内一豊も使った筈です。
琵琶湖の風が気持ちよかったです。
時間が余ったので、ついでに「彦根城」も見ました。

投稿者:昔の秀吉を見て思う事②

投稿日:2014/12/18

秀吉は確かに成り上がりものですが、官位があがるたびに
「自分は特別だ」という意識が出てくるんでしょうねえ。
思い上がりですが。
ステータスシンボルの車のグレードがだんだん上がり、
高級車乗り回す度に「自分は特別だ」という意識になり、
交通法規を守らない人間にならないように気をつけたいと
思いますね(笑)。

投稿者:昔の秀吉を見て思う事①

投稿日:2014/12/18

昨日は「帰ってきた軍師」「栄華の極み」「長政初陣」
立て続けに見ました(笑)。
秀吉はあの頃は、本当にいい人でしたねえ。
竹中半兵衛も宇喜多直家も秀吉に後を託す、男が男に惚れる
人でしたが..
荒木村重の言っていたように、信長だけでなく、権力の魅力
に取り憑かれると、ああも、人は狂うのかな~と思う。

投稿者:JPG&R☆「三成・茶々・秀頼」【自滅】

投稿日:2014/12/18

「上杉討伐」を建前に、「三成」が「家康公」に~炙り出された~【関が原】。「茶々」の器量不足~先見の明の無さに加えて~豊臣政権事務方「三成」主導では、【西軍】不協和音は必然。『器量あるものが天下を治めればよい』と云う「おね」さんの肝の座り方は流石。完全に「三成」べったりかと想わせて置き、寸前で「三成」を見限る「茶々」~そこまでは良いが、世情に疎過ぎで「秀頼」を道連れに【自滅】とは『宿命』か。

投稿者:関ヶ原

投稿日:2014/12/17

天下分け目の関ヶ原とは言うが、そのわりに世間に取り上げられ
なかったのは、スカッとしない後味の悪さ。
この戦さは、勝った東軍も、負けた西軍も後あじの悪い戦さとなっ
たようだ。
それもこれも、おねの血縁というだけで、大名になった小早川秀秋の
裏切り行為ゆえ。

投稿者:佐和山城②

投稿日:2014/12/17

東軍は、五奉行筆頭という三成の輝かしい経歴から言って、さぞ財産
があるだろうと思っていたようだが、城自体、内部は粗壁のまま、安
普請。庭も簡素。
金銀財宝も何もなく、東軍仲間で分ける財産が何もなかったらしい。
三成は、この戦さにすべてを賭けていたようで、己の財産を全部使
っていた。彼の家康との決戦に賭ける熱い思いが分かるね。

投稿者:佐和山城①

投稿日:2014/12/17

「三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」
と云われるが、
東軍は関ヶ原の戦さの後、三成の親父と兄が立てこもる『佐和山城』
攻撃に移る。三成はこの時期落ち武者で、伊吹山超え。
先鋒は小早川秀秋。結局、東軍は激戦の上これを落城したが、
驚いたのはその後。

投稿者:ごめんね三成 情けない毛利④

投稿日:2014/12/17

ここで秀頼公を擁して、大阪城に籠城してたら展開が違っていた。
家康の毛利の領土安堵の手紙を見せられて、安心して国元に帰った
輝元。やはり輝元公が甘い。
結果的に、家康に「領土安堵」の約束を反故にされた輝元と吉川広家。
後で、お家を揺るがす大問題となる。

投稿者:ごめんね三成 情けない毛利③

投稿日:2014/12/17

関ヶ原の合戦後も大阪城でぼけっとしてた3万の軍を持つ輝元も、
大阪城を出て、秀頼公を手離すべきではなかったと思う。
関ヶ原で西軍が負けたとは言え、秀元が主張するように、まだ無
傷の毛利勢が大阪城に三万、秀元の軍が二万近い軍勢が残ってい
た。

投稿者:下世話な話だが、秀頼は

投稿日:2014/12/17

三成の子とは限らないよ。秀吉の種はかなり、疑われていたようだが。
高齢だしね。
秀吉の種は、医学的に見て、年齢的にあり得ない話だそうだ。
多くの側室の中で、タダ一人子供を産んだ淀君。
他にも、大野治長との関係が疑われていた模様。

投稿者:0920松井真由子abc

投稿日:2014/12/17

男女関係に有った「三成と淀殿」。
結局は「三成」が【殿方】として魅力が欠如して居た。
「狸」憎し、その想いは『共有』して居たのに。

投稿者:錦の御旗 秀頼公

投稿日:2014/12/16

勝てば官軍、負ければ賊軍」と言うが、秀頼公を抱えるほうが
官軍になれるのに、子供可愛さに溺れた女の淀君。
幕末で言えば、秀頼公は「錦の御旗」だった。
「錦の御旗」を挙げれば、東軍の福島正則以下、豊臣恩顧の大名は、
逆らえず、西軍有利になるという「三成の奥の手が水の泡になった。
あ~あ。

投稿者:ごめんね三成 情けない毛利②

投稿日:2014/12/16

巨大戦力を持ちながら、戦って負けるならともかく、戦わずして
負けた毛利。はあ~情けない。
「領土安堵」これしか頭になかったのか、輝元公。
「天下を望むな」という元就の遺訓が災いしているね。
この家がそれまでの保守的な思想、態度を捨て、徳川に逆らうのは、
幕末までかかる。
次の大河ドラマ「花燃ゆ」の文の兄「吉田松陰」の出現まで待た
なければならないようだ。

投稿者:ごめんね三成 情けない毛利①

投稿日:2014/12/16

関ヶ原布陣図を見ると、
毛利一族だけで、西軍全体の三割を相当する戦力。そのまま『普
通に』戦っていれば、西軍が勝っていただろうと世間では言われる。
事実、明治政府の軍事顧問を務めたメッケル少佐は、関ヶ原の布陣
図を見て即座に「西軍の勝ち」と即答したそうです。
「ごめんね三成」「広家が皆に内緒で勝手な事をして」と言いたい
気分です。

投稿者:JPG&R☆豊臣家恩顧大名内紛衆知では

投稿日:2014/12/16

【「豊臣家」恩顧大名の『内紛』】との理解では居たが、世間的には「家康公」vs.「三成」の構図で有ったが、【キーマンは、「秀吉」直系「秀頼」】。『~たら・れば』に為るが、「前田利家」が存命なら~『命懸けで若君を死守する』と、「おね」と「茶々」に進言~「秀頼」が『西軍』に就き、「三成」が【大義】を得て、「家康公」が【謀反~逆賊】とされた。「家康公」の【武運】が「三成」を遥かに勝った『人望の差異』。

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